海風が香る珠海と未来を駆ける深圳。短い旅路でも残った、確かなまなざし。こんなにも違う表情をもつふたつの都市を、カメラに収めたのは、ほんの短い旅の時間でした。珠海では、マカオとの境界に立ち、行き交う人の気配を静かに見つめ、深圳では、高層ビルと人の流れに圧倒されていました。
観光名所をめぐる旅ではなかったけれど、それでも、記憶に残る風景があったのです。今回はそんな“通りすがり”の視点から、珠海と深圳の空気を少しだけ切り取ってみました。
- 光に包まれた、香港の夜 -
マカオを背に歩いて数分。そこに広がっていたのは、驚くほど整った街並みと、活気ある繁華街。経済特区として発展を続ける珠海の姿は、想像よりも未来の都市を思わせる空気が漂っていた。
珠海市は、近年「中国人が住みたい都市ランキング」でも上位に挙げられる街。その理由はきっと、この“暮らしやすさ”が自然と伝わってくる空気感にあるのだろう。ほんの短い滞在だったけれど、「この都市のこと、もっと知りたい」と思わせてくれる、そんな風景に出会えた瞬間だった。
国境を越えてすぐ、足元に広がっていたのは、巨大な地下ショッピングモール。人、人、人——まるで都市の血流のように、人の流れが絶え間なく続いている。ここは中国本土・珠海とマカオを結ぶ玄関口。越境する人々の生活が交差するこの場所には、日系ブランドの店舗も多く並び、どこか親しみやすさすら感じた。
雑多で、にぎやかで、それでも秩序のあるこの空間。“暮らす”という視点で見れば、きっととても便利で、魅力的な場所なのだろう。ほんの一瞬の通過だったけれど、この「密度」にこそ、中国の都市のリアルが詰まっていた。
そして、夜の姿がこちら。ここは珠海市でも一番の繁華街である「蓮花路」という通り。赤や青のネオンサインが街角を染めて、歩くだけでちょっとテンションが上がる——これこれ、こういう“中国らしい夜”、大好きなんです。気づけば、マッサージ店や飲食店がずらり。深夜でもまぶしいほどの明かりに照らされて、街はまだまだ眠る気配がありません。
経済特区という肩書きは、伊達じゃない。ただの港町ではない、“働き、遊び、暮らす”全てが混在した珠海のエネルギーが、夜にこそ色濃く現れていました。
煌びやかなネオンをくぐって、ふと横道に目をやると——ほら、こういう路地裏があるのが、またたまらない。漂うアングラ感。少し雑多で、ゴミもあって、整いすぎていない。でも、だからこそ、リアルで、生きてる都市の匂いがする。マッサージ店の明かりがまぶしかった通りから、数歩入っただけでこれ。このギャップが珠海のいちばん好きなところかもしれない。
経済特区と聞くと、ピカピカの都市を想像しがちだけど、こういう“抜け感”が共存してるって、個人的にはすごく魅力的だと思うんです。
– 経済特区の本気を感じた、ひと駅ごとの都市スケール –
深圳と言えば、やっぱりこのビル。
平安国際金融中心——名前は知っていたけど、実際に目の前に立つと、その高さにただただ圧倒された。
まっすぐに空を突き抜けるようなフォルム。ハイテク都市・経済特区としての深圳の勢いを、そのまま形にしたような建物だった。
今回は中には入れなかったけれど、いつか夜に上って、深圳の街を一望してみたい。この都市がどれだけ広くて、どれだけ未来に近いのか、上から見てみたくなった。
※平安国際金融中心は、深圳の超高層ビルの象徴とも言える存在で、地上115階・高さ約600m
世界でも有数の高さを誇り、展望フロアからは深圳の夜景を一望できる人気スポット
香港と深圳の入境審査所。羅湖口岸に着いたとたん、空気がふっと変わった気がした。言葉にするのは難しいけれど、建物の質感、人の動き、流れる時間——あ、ここからは“本土の中国”なんだって、肌で感じた。すぐそばには大きなショッピングモール。さすがは深圳と思わせるスケール感はあるけれど、想像よりも人は少なくて、なんだか少しだけ肩の力が抜ける。
都市の境界って、にぎやかさよりも“切り替わりの瞬間”が面白い。羅湖はまさに、その“感覚の変化”を味わう場所だった。
…なんて思っていたのもつかのま、深圳の代表的な繁華街・東門歩行街に着いた瞬間、景色は一変。
人、人、人——平日とは思えないほどの人の波に、思わず笑ってしまった。入境審査所で感じた“人の少なさ”なんて、まったくの杞憂だったらしい。
賑やかな通りに、無数の看板と活気ある屋台の声。ああ、これこれ。経済特区・深圳って、やっぱりこういう街だよなって、なんだかうれしくなった。
– 色とにおいに満ちた、アーティストたちの横顔 –
ここは、大扮油画村。世界中の複製絵画のうち、約6割もがこの小さな村で生まれているという、知る人ぞ知る“アートの生産地”。
看板や壁のペイントから、もうすでに絵の具の匂いがしてくる。私自身も絵を描く者として、この場所は一度訪れてみたかった。観光地というより、“手仕事と生活が溶け合った村”——そんな印象だった。
そしてこの風景。ずらりと並べられた椅子と、キャンバスの数々。人の姿は少なかったけれど、それでもこの場所に、絵を描く人たちの“気配”ははっきりと残っていた。
きっと放課後や休日には、ここに絵筆を握る学生や社会人が集まって、この空間は絵の具の匂いと集中の熱気で満ちるのだろう。
ほんの数分しかいなかったけれど、「ここに数ヶ月滞在して、絵を学んでみたい」——そんなふうに思わせてくれる場所だった。まるで、絵描きにとっての“聖地”のような村。
並ぶ絵を眺めていると、ふと気づく。どれも“複製画”と呼ぶには、あまりにも丁寧で、あまりにも巧い。
構図は同じでも、色のタッチや質感には、その人なりの“遊び心”や“工夫”がしっかりと込められていて、それが逆に、この村に根づくアートの底力を感じさせてくれた。
どの作品も、本当にレベルが高い。思わず、ため息が出るくらい。でも同時に、不思議と落ち込むんじゃなくて、「自分も描きたい」って思わせてくれる力があった。
ありがとう、大扮油画村。よし、わたしも、がんばるぞ。
ほんのわずかな滞在だった。でも、珠海と深圳、それぞれの街に流れる空気はまったく違っていて、一歩踏み込むごとに「知らない世界がこんなに近くにあったんだ」と気づかされる旅だった。
国境を越えて感じた境界の静けさ。高層ビルに圧倒される都市のスピード。そして、キャンバスに囲まれてふと心がほどける創作の時間。
滞在時間の長さじゃない。記憶に残るのは、あのとき、目の前に広がっていた風景と、そこでふと感じた、ちいさな「好き」の積み重ねだった。
またいつか、もっとじっくり歩いてみたい。あの街の続きを、まだ見ぬ風景を、今度はもう少し深く味わえるように。
香港のカルチャー。ウォールアート、ローカルグルメ、観光名所で出会った景色たちをお届けします。